2004.6.1

 よく、「町づくりは人づくり」と言います。
何の改革も改善も究極は人、人材であり、町の魅力は「美しい町並み」も必要ですが、何よりも、そこに住む人の人情や機微、人の魅力にあるということでしょう。
 こう考えると、昔は商人道とか職人気質などと言い、職業によって、それぞれ仕事への‘こだわり’や‘誇り’を持っていたように思われます。例えば、商人では近江商人とか甲州商人とか言われ、物を売る基本、商人としての生き方などを伺い知ることが出来ます。
 職人では、根性とか職人魂とか言われ、一本気で一つの事柄を貫く事を良しとされてきました。いづれにしても、共通していることは、修業時代(仕事を覚え、身に付ける時期)があって辛い厳しい下積みの生活を経ていることです。そして、「奉公」と言って、「年明け(一人前になるまで)」まで仕事はもちろん、掃除・洗濯に至るまで、ひたむきに修行をします。この間にガマンを覚え、厳しい人生を生き抜く知恵や工夫が身につきます。親方や兄弟子にゲンコツをもらったり、叱られたりしますが、この体験は人生の中で最も大切で、特に、「たて社会」の良さや辛さを味わいながら成長して行きます。この徒弟制度の中から、豪商と言われる人が出たり、「名人」と言われる職人の神様のような人が輩出されたりしました。人間国宝や文化勲章を受けた人のお話を聞くと、その技の道だけでなく、人間社会のすべてに通ずる「真理」を伝授されたような感動を覚えることがあります。

 昔(少なくとも戦前)は、大学など高学歴の人は一握りで、ほとんどが農業・商業・職人の自営者であり、みんな貧しく自給自足に近い生活をしていました。しかし、学校は出ていなくても、社会や世間のことに明るく、今の言葉で言えば、「生涯学習・社会教育」が行き渡り、学識は高かったように思います。

 このように考えると、「人づくり」とは、学校教育で身につくのではなく、社会で鍛えられ育てられるものであることが良く解ります。それが、いつの頃からか、「良い大学を出ること」が目的になって、「家庭のしつけ」がおろそかになり、「地域の教育力」が低下してきました。その結果、日本全国で、青少年を取り巻く悲劇が繰り返され、驚くことは、青少年が被害者ばかりでなく、加害者になって社会を震撼させていることです。

 世界中から羨望の目で注目された、勤勉で忍耐強く、世の為人の為に働く日本人の姿は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
まずは個人の基本は「家庭」で、学問の基礎は「学校」で、そして、「社会」でより育まれ培われるのだと思います。何よりも大切なことは、仕事を持ち、働く事を通じて、自らが社会に貢献しているという自覚が、個人レベルで必要なのではないでしょうか。働きながら学んでいくという「職業教育」こそ「人づくり」の原点ではないかと、いろいろな方に育てていただいた、自分が歩んできた経験からも感じます。